こんにちは。アートな週末を提案する、きいこです。
今回は、おうちで過ごすアートタイムに是非おすすめしたい美術映画をご紹介します。
画家フィンセント・ファン・ゴッホの晩年を描いた
映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』(原題:At Eternity’s Gate)
この映画は、ゴッホの苦悩や感じていたこと、そして彼が見ていた世界を”追体験”できる、まさに「ゴッホになれる映画」でした!
※この記事には映画のネタバレが含まれますので、ご注意ください。
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1. 映像美が素晴らしい、芸術的な映画

この映画の最大の魅力のひとつが、何といっても映像の美しさです!!
輝く太陽の光、黄金の麦畑、オリーブの木々…ゴッホが感じた自然の美しさが、映画の中で表現されて、カメラを通してその世界を味わえます。その没入感たるや、映画としてはなかなか新感覚で面白かったです!
まるで絵画の中に迷い込んでしまったような映像は、単なる「伝記映画」とは一線を画します!そうです、そもそもこの映画は伝記映画ではないのです!
通常の映画と比べてセリフがないシーンが極端に多いのも特徴的です。映像だけで訴えかけてくる表現が、とても芸術的で詩的な映画でした。
映像と合わせてとても印象的だったのが、胸に迫るピアノ音楽です。作曲はタチアナ・リソフスカヤさんというウクライナのヴァイオリン奏者のようなのですが、今回はピアノを基調とした曲となっています。シーン毎のゴッホの心情を表現し、景色を引き立てる音楽の力により一層作品の世界へ誘われます。
観ているうちに、次第にこちらの視点もゴッホと同化していくような感覚に…🌻
監督のジュリアン・シュナーベルは、映画監督であると同時に画家でもあります。この映画の美しさはまさにそこにあり、監督自身の画家としての芸術性が映画によって描き上げられている稀有な作品です。

しかも、映画に登場する絵画は全て監督自ら描いたものだとか…なんとその数130点!!?
確かに、本物のゴッホの絵を撮影で使えないですものね。
映画を見ていると、まるで本物のゴッホを見ているようで、そこで描かれている絵も、本物なのかと錯覚してしまいます…が、確かにそんなはずはない…!!
そのくらい、再現度高い油絵が画面の中にあり。やはりシュナーベル監督だからこそ生み出せた映画なんだなぁと思いました!!
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2. 主演ウィレム・デフォーが、まるでゴッホそのもの

そして何より、ウィレム・デフォーの演技が“圧巻”です。
もう、ゴッホにしか見えない!!!
しかも、なんとデフォーは撮影当時63歳。37歳で亡くなったゴッホを演じていることに、最初は驚きましたが、見始めてしまえばその年齢差は一切気になりませんでした!
表情、語り方、立ち姿、描き方…どこを切り取っても「ゴッホがそこにいる」と感じさせる説得力があります。俳優さんってすごいですよねぇぇ…!!
デフォーは、役作りのために実際に監督から油絵を学び、撮影中の絵を描くシーンは全てデフォー自ら描いているとか。その画家としての土台からしっかり積み上げた上での役作りが、ゴッホの魂を宿らせて、作品の中で生きているのでしょう。
物語が進むに従って、彼の瞳に浮かぶ苦悩や孤独の色は濃くなり、不安にかられていく様子が痛々しく伝わります。それでも、絵を描くことへの信念を持ち、絵に対する揺るぎない想いで走り続ける姿に胸を打たれます。
周りから認められず、罵声をあびせられ、精神病院にまではいり…それでもひとりキャンバスに向かう。そんなゴッホが「未来の人たちのために描いている」と語るシーンがあります。
ゴッホからのプレゼントを確かに受け取ることができた私たちは幸運です。そんな時を超えたメッセージに、涙がこぼれそうになりました。
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3. ゴッホの視点で世界を見るためのこだわり

この映画が他と一線を画しているもう一つの理由は、「ゴッホの目で世界を見る」という演出のこだわりです。ゴッホを描いた映画ではなく、観ている私たちがゴッホになれる映画。
物語が進行する中で、時折ゴッホの視線での景色が現れます。
揺れる手持ちカメラ、ぼかしの効いたフォーカスなどを巧みに使い、実際に見ている景色と彼の心の中を映し出しているかのような光景。
それらは一見、観づらさを感じることもあるかもしれません。
けれど、その描写によって、ゴッホの不安定な精神状態や、感覚の過敏さを感じられます。
たとえば精神病院を脱走して、絵を描く場所を探し求めて彷徨うシーン。(ちなみに、ここはフィクションシーンでそんな史実はなかったかと思われます)
全体が黄色がかった画面に、画面下半分だけ視界がぼやけ、ゆらぎます。なんと、遠近両用メガネから発想を得た手法らしいです。
こうした表現を通して、「ゴッホの視界」をまさに“体験”できる作品になっていました!
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4. 撮影地は、実際にゴッホが過ごしたアルルやオーヴェール

映画のロケ地にも注目です。
撮影は、ゴッホが実際に滞在していた南仏・アルルや、晩年を過ごしたオーヴェール=シュル=オワーズで行われているそう。
このリアリティあるロケーションが、映画にさらなる臨場感を与えています!
200年変わらない景色が保たれている地で、黄色い麦畑が広がる道を歩くシーンや、丘の上から町を見下ろす場面などは、実際にゴッホが見ていた景色に限りなく近いものだと言えます。
「ひまわり」や「星月夜」などの名作が生まれた場所の空気を、映画を通して感じることができるのは、貴重な体験です!
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5. ゴッホの最期 新たな視点

この映画では、ゴッホの死因に対してある仮説が提示されます。
それは「自殺ではなく、他殺だったのではないか」というもの。
これはかなり衝撃です。あらゆるゴッホの伝記がありますが、自殺説の方が圧倒的に多いでしょう。
実際、謎に包まれているゴッホの最期ですが、確かに、加害者を守るために、ゴッホが沈黙を貫き通したという説も一部あり、映画の中では観ている側に、その問いを投げかけてきます。
「本当に彼は自ら命を絶ったのか?」「彼の死の背景には、何があったのか?」
これは私の思うところですが、、、一つ明確になっていることは、麦畑で重傷を負った後、自分の足で歩いて、自宅まで戻って来たという事実。銃を放ったのが誰なのかはわかりませんが、もし錯乱した中で誤って自分に銃を向けていたとしても、はたまた銃を向けるまでは正気で最初から自殺するつもりで家を出ていたとしても、若しくは映画で描かれるように他人が向けた銃によるものだったとしても、
我に返ったゴッホは、その後生きることを願ったのではないだろうかと、思うのです。そうでなければ、歩いて自分の家まで戻ったりできない。まだ描きたい、描かねばならない。こんなところで倒れている場合ではない、と、ゴッホは痛む腹を抑えて家まで戻ったのではないかと、、、私は思います!
ラストシーンは、美しいゴッホの絵が綺麗に並ぶ真ん中に棺がおかれ、傍らでテオ達が悲しみに暮れ、傍らで絵を鑑賞する人々がいる。ここは美術館なのか葬儀場なのか。
ゴッホの人生そのものが芸術であり、またゴッホの絵こそゴッホ自身であり。
静かに、けれど強く、心に残る美しいラストでした。
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6. そしてマッツ・ミケルセンが登場!!

個人的に「おおっ」となったのが、マッツ・ミケルセンの登場です。
彼は映画の中で神父役として登場し、ゴッホと対話する重要なシーンを担っております。
今回この映画の鑑賞は2度目でしたが、1度目の時は全く気づいておらず、知った時には声をあげて驚きました。
そのシーンは、短いながらも、その存在感はさすがマッツ。
ゴッホの描く事に対する考えや想いを神父が静かに問いかける。正気と狂気のはざまで揺れるゴッホとの言葉のキャッチボールは一つ一つが非常に重みがあります。お互いが信じているそれぞれの価値観が、ぶつかり合うでもないが、しっかり重ね合わされていく。その様がとても人間的で、シンプルに描かれているからこそ、その複雑なやりとりが深く見え、素晴らしいシーンでした!
デフォーとミケルセン、実力派俳優二人のこの静かな対峙は、間違いなく映画の見どころのひとつです!!
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終わりに
『永遠の門 ゴッホの見た未来』は、単なるゴッホの伝記映画ではありません。
これは、彼の心に寄り添い、彼の視点で世界を感じるための体験です。
「芸術とは何か」「なぜ人は創作するのか」「なぜ誰しもがゴッホに魅了され続けているのか」そんな根源的な問いを、やさしく、でも深く投げかけてくる作品です。
おうちでのアートな週末に、ぜひこの映画を観てゴッホに想いを馳せてみてください!
きいこ
映画『永遠の門 ゴッホの見た未来』(2018/イギリス・フランス・アメリカ/配給:ギャガ・松竹)
【CAST】
フィンセント・ファン・ゴッホ:ウィレム・デフォー
テオ・ファン・ゴッホ:ルパート・フレンド
ポール・ゴーギャン :オスカー・アイザック
聖職者 :マッツ・ミケルセン
ポール・ガシェ医師 :マチュー・アマルリック
ジヌー夫人 :エマニュエル・セニエ
教師 :アンヌ・コンシニ
フェリクス・レー医師:ウラジミール・コンシニ
農婦 :ロリータ・シャマー
【STAFF】
監督・共同脚本:ジュリアン・シュナーベル
共同脚本 :ジャン=クロード・カリエール/ルイーズ・クーゲルベルグ
製作 :ジョン・キリク
撮影 :ブノワ・ドゥローム
美術 :ステファン・クレッソン
衣装 :カレン・ミュラー・セロー
音響 :ジャン・ポール・ミュゲル
音楽 :タチアナ・リソフスカヤ
絵画指導 :エディット・ボードラン